COLUMN

連載:本と旅する、この途方もなく広い世界

Vol.1 読めば読むほど、インドが遠い

Nov.1.2021
written by 山田なつき

古書店nostos booksさんのコンセプトは「新しい過去の発見」。
知っているつもりでいた過去を新しく発見すること。体験していない時代への純粋な好奇心。新しい世界に出会うことができる喜びを教えてくれる、とても魅力的な選書をされている本屋さんです。
そんなnostos booksのスタッフさんに毎回決めたテーマに因んだ3冊をセレクトしていただくことになりました。
第1回はズバリ『インド』!
知ったつもりで知らない、新しいインドを発見できるかもしれません。
nostos booksさんは、10月にちょうど松陰神社前から祖師ヶ谷大蔵に移転したばかり。ぜひ、新しいお店にも足を運んでみてください。

 

『Kantha』 / Pratapaditya Pal、John Gillow / Radius Books

ときに異国の地を描いた本は、その土地やそこで暮らす人々の存在を身近に感じさせてくれます。

けれど個人的に惹かれるのは、「あぁこんなにも世界は広くて、私が一生かかっても理解し得ない物事で溢れているんだ」と感じさせてくれるような、途方もないこの世の広さを教えてくれる本。

今回のコラムを書くにあたり、そんな本を取り上げてみたいと決めてからまっさきに思い浮かんだのが、この『Kantha』でした。

『Kantha』で紹介されているのは、19世紀後半から20世紀初頭につくられたカンタたち。

ガンジス川がベンガル湾に流れ込む、インドとバングラデシュの境界にあたるベンガル地方。カンタ刺繍は、最高級の綿花の産地として有名だったこの地でうまれたと言われています。

女性たちは針を片手に使用済みのサリーやドウティ(ヒンドゥー教徒男性が着用する腰布の一種)を何枚か重ねると、動植物や身の回りの生活道具、宗教的モチーフなどといった様々な図柄を自由な発想で描いていきました。

女性たちが、手が空いた隙を見つけては針を刺し、ときには数ヶ月という時間をかけて縫い上げられていくカンタ。それらはベッドカバーや、貴重品などを包むための布、儀式用のマット、さらには嫁入り道具などへと生まれ変わり、人々の生活を彩ってきました。

賑やかな模様が布一面を埋め尽くす様子に自然と楽しげな想像が広がりますが、個人的には寄りで見たときにその真骨頂を感じます。

引きで見たときには余白として捉えていた部分にも隙間なく刺されたランニングステッチ。そうして生まれた独特の陰影と凹凸ひとつひとつに、針を刺した女性たちの息遣いと、途方もない時間の集積が宿っているかのようです。

しかし残念ながら、荒廃や分断、さらには現地の生活が温暖化の影響を受けたことなどにより、この素晴らしい手しごとは失われつつあるといいます。

家族の幸せと繁栄への願いが込められたカンタ刺繍は、ベンガルの地で生きた人々の営みの証なのです。

『Sar: The Essence of Indian Design』 / Swapnaa Tamhane, Rashmi Varma / Phaidon

さてさて、この流れでインドにまつわる本をご紹介していこうと思います。

本書はムガール帝国から現在のグローバル国家へと変化してきたインドの文化とデザインの歴史を、様々なオブジェクトを通して紹介したもの。年代順や特定のデザイナーによるものではなく、「Believing」「Relaxing」「Wearing」といったジャンル毎に、インドの風景を形作ってきたものたちが紹介されていきます。

タイトルになっている”sar” ってなんぞや…と思っていたら、ヒンドゥー語で”エッセンス”のことだそうです。富の象徴でもあるシルバーのアンクレット、インド定番のおやつ・パニプリの移動式カート、伝統工芸と現代のデザインが融合した竹のハンモック兼ロッキングチェア。そうしたものひとつひとつが、インドをインドたらしめてきたんですね。

多様な人、言語、食、デザイン、芸術が入り混じるこの国。自分がいつからか知らないうちに抱いていた「インドらしい」にもう一歩踏み込んで、インドという国の姿に改めて向き合うきっかけになるのではないでしょうか。

『Dayanita Singh: Museum of Chance』/ Dayanita Singh / Steidl

最後にご紹介するのは、インド出身の写真家/ダヤニータ・シンの写真集。

彼女は以前、チーク材でできた可動式の「美術館」という展示構造物を考案しており、そこで発表した作品全体のことを「インドの大きな家の美術館(Museum Bhavan)」と呼んでいます。『Museum of Chance』もそのうちのひとつ。

写し出されているのは、ありきたりなステレオタイプの一切が取り払われたインドの姿。静謐で詩的な光景を前に、ただただ心を掴まれます。

指でそっと紙をなぞれば、そのまま深く飲み込まれてしまいそうな影。畏れや祈りといった、何か大きなものの気配を帯びた光。

それらを再現したSteidl社による印刷は本当に見事。ちなみに本書のカバーは、ダヤニータ・シンのリクエストで88種類ものバリエーションが制作されているというから驚きです。「そんな無茶な…」なリクエストを、一度は断りながらも翌日には快諾したSteidl社…痺れます。

旅、はたまたテキスタイルにまつわる本というテーマを設けた今回のコラム。記念すべき第1回目はインドを軸にご紹介しました。

「いつ行っても知らない一面に出会う、底知れない魅力に溢れた場所」。何度も訪れたことのある人ですらそう語る、インドという国。

まだ一度もその地に足を踏み入れたことのない私にとってインドという国はどこまでも遠く、ひたすらに憧れる場所なのです。

Profile : 山田なつき / Natsuki Yamada

静岡県浜松市生まれ。テーマパークスタッフ、リノベーション会社を経て、2016年に松陰神社前に実店舗を構えていたnostos booksへ入社。現在は店舗を祖師ヶ谷大蔵へ移し、店長として店舗・オンラインストアの運営を行う。
「新しい過去の発見」をコンセプトに、デザイン・アートを中心にセレクトした書籍や雑貨の取り扱い、または定期的に展示を開催。

https://nostos.jp/

@ntk_ymd

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